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2010年8月28日 (土)

家庭は憩いの場?それとも…

それぞれの人は何かを学びに肉体を持って生まれてくる、と言われます。

その学びを完成させるために、様々な相手が自分の前に現れ、おまけに、今生で完成できないと宿題として来世に持ち越される…なぁんて言う人までいます。どひゃ~~、もう結構

あなたには、「どうもコイツ(失礼)がその相手だな」という人が思い当たりますか。

大抵の方にはソイツ(失礼)がいます。

しかも、結構近くにヒヒヒ…

やっかいな相手を神様が選んで私のもとに与えてくれたのか、それとも近すぎるから大変なのか、この次に彼(神様)に会ったら確かめたいところですが、とにかく今生では、この相手で修行をするしかないようです。

ソウル・メイトであろうとなかろうと、前世での親の仇であろうとなかろうと、たとえ大殺界の真最中だって、方角が良くたって悪くたって、今ここで日々の生活の中で、自分の心を見つめる作業をするしかないのです。

誰だって知らない人には優しくできます。 でも「相手の行動が受け入れがたい時も、自分の心を乱さない」という修行は、その相手が近くにいればいるほど、そして、毎日であればあるほど高度なものだと思いませんか。

学びの場とその教材はとても近くにあります。逆に、近くで修行できなければ、遠くに行っても同じです。

そういう意味では、自分に一番近い人(夫婦、親子、兄弟、舅姑、親しい友人、職場の同僚や上司)というものは、ドォドォと爆音をたてて落ちる滝行の水なのかもしれません。

そして私自身も、彼らにとっては修行の相手になっているのでしょうねぇ。どどどどどぉぉおおおお(←ナイアガラ級)きゃぁ~お許しあれぇ~~

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