わたし、待つわ
子供が歩き始めた時、両手を広げて「こっち、こっち」と待っていました。
ほんの数歩の前進を待っていれば、子供は満面の笑みで、必ず私の腕の中に飛び込んできました。
いつになったら、こうやって見ていなくても、さっさと歩くようになるのだろう。遥か未来に思えたその時は、あっという間にやってきて、とっくに過去の話になっていました。
それからです。親はもう一度待つのです。
今度は彼らが人生を歩き始めるのを。
その時は、けして「こっち、こっち」と指示してはいけません。
彼らの行く道が「どっちなのか」私たちにはとうてい判断できないからです。
彼らは満面の笑みなんか見せてくれません。
私たちの腕をふりきって、どこかへ行ってしまうかもしれません。
あの時はせいぜい数分待っていればよかったのに、今回は数年、下手すれば10年も20年も待つことになるかもしれません。
時に嘆き、時にあきらめ、それは永遠に続くようにも思えます。
そんな自分の弱さと対峙するのが、親としての最後の修行なのでしょうか。
自分を成長させる教材は本当に身近にあるのです。
待つわ、いつまでも待つわ♪なんて懐メロ?を口ずさむこの頃です。
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