六根清浄(と緒形拳)
実家の父の本棚に楢山節考という本がありました。
貧しい農村で、口減らしのために
母親を山へ捨てに行く男の話ですが
詳しいことはあまり覚えていません。
ただ人々が繰り返し唱える「六根清浄」という言葉が
意味もわからないまま、頭に残っていました。
それが映画化されたので観に行きました。
理由は、主演が緒形拳だったから
「やっぱり拳さんは可愛いなぁ」ぐらいの印象で
その他は…やっぱり覚えていません (;´д`)トホホ…
ところが
何年か前、現代レイキの合宿で
土居先生がこの六根清浄の祝詞の解説をしてくださいました。
六根とは目・耳・鼻・口・身と意(こころ)の六つの感覚器官。
どんなに汚れた情報を六根を通して受け取ったとしても、
それを自分の最も奥深いところまで取り込んではいけない。
なぜならそこは自分の内なる神性が宿る場所だから。
そこが清く清ければ、自分=神となり
自分(神)が願うことが叶わぬはずがない(きっぱり)
というようなお話でした。
嫌な奴が発した嫌な言葉を耳で聞いて
「あの野郎(失礼)許さんぞ、今に見ておれ」ムラムラ
なんて怒り恨みの炎をもやし続けると
自分の一番大切な部分を汚してしまいます。
イコール、神を冒涜することになります。
ちょいとばかりムカっとしても、スルーして
自分の大切な部分(神)を守ります。
これがどうやら六根清浄ってことらしいです。
常に六根をきれいにすれば
なんと、ドリームカムトルゥー
ああ、なんてシンプルな教え
全ては自己責任
誰かの、何かの、先祖の、前世の、世の中のせいにせず
大切なものを自分で清める合言葉だったんですねぇ
そしてこれが「どっこいしょ」の語源だとか
「なんでこんなことに」 「しまった」 「あらどうしよう」
な~んて、チラッとでも思った時は
「どっこいしょ」と掛け声かけて
大切な大切な宝物をきれいなままにしておこうっと