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2014年10月29日 (水)

六根清浄(と緒形拳)

実家の父の本棚に楢山節考という本がありました。

貧しい農村で、口減らしのために

母親を山へ捨てに行く男の話ですが

詳しいことはあまり覚えていません。

ただ人々が繰り返し唱える「六根清浄」という言葉が

意味もわからないまま、頭に残っていました。

 

それが映画化されたので観に行きました。

理由は、主演が緒形拳だったから

「やっぱり拳さんは可愛いなぁ」ぐらいの印象で

その他は…やっぱり覚えていません (;´д`)トホホ…

 

ところが

 

何年か前、現代レイキの合宿で

土居先生がこの六根清浄の祝詞の解説をしてくださいました。

 

六根とは目・耳・鼻・口・身と意(こころ)の六つの感覚器官。

どんなに汚れた情報を六根を通して受け取ったとしても、

それを自分の最も奥深いところまで取り込んではいけない。

なぜならそこは自分の内なる神性が宿る場所だから。

そこが清く清ければ、自分=神となり

自分(神)が願うことが叶わぬはずがない(きっぱり)

というようなお話でした。

 

嫌な奴が発した嫌な言葉を耳で聞いて

「あの野郎(失礼)許さんぞ、今に見ておれ」ムラムラ

なんて怒り恨みの炎をもやし続けると

自分の一番大切な部分を汚してしまいます。

イコール、神を冒涜することになります。

 

ちょいとばかりムカっとしても、スルーして

自分の大切な部分(神)を守ります。

 

これがどうやら六根清浄ってことらしいです。

常に六根をきれいにすれば

なんと、ドリームカムトルゥー

 

ああ、なんてシンプルな教え

 

全ては自己責任

誰かの、何かの、先祖の、前世の、世の中のせいにせず

大切なものを自分で清める合言葉だったんですねぇ

 

そしてこれが「どっこいしょ」の語源だとか

 

「なんでこんなことに」 「しまった」 「あらどうしよう」

な~んて、チラッとでも思った時は

「どっこいしょ」と掛け声かけて

大切な大切な宝物をきれいなままにしておこうっと

 

 

 

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