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2015年2月18日 (水)

介護を受ける

姑は認知症で、実家の父は仙骨圧迫骨折で入院中です。

サポートのために私も病院に行くことが多くなりました。

機械や人の手を借りなければ、食べることや排泄すること

自分の意思を伝えることさえできない人が多いのに驚きます。

そうまでして生きる意味があるのだろうか…

最初はそう思っていましたが

少しずつ関わっていくうちに

看護や介護を受ける人が

私たちに成長のチャンスを与えてくれているのだ

と気づきました。

受け取る人がいなければ与えることすらできない。

必要としている人がいなければ

一体どこへ手を差し伸べればいいのでしょう。

高齢者だけではありません、

難病を抱えて生まれて来る赤ちゃんや

若くして亡くなる人もいます。

物質的に豊かになり、定年後の時間が長くなり

福祉システムも整いつつある時代だからこそ

今まではゆっくりと考える暇もなかった

老、病、死に対峙する機会が与えられ、そして

その中から生の意味も見えてくるような気がします。

看護や介護は一番高度な修行だと言われています。

その修行を提供している人、つまり

看護や介護を受けてくれる人たちの役割は

とても尊い…そう思いませんか?

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