介護を受ける
姑は認知症で、実家の父は仙骨圧迫骨折で入院中です。
サポートのために私も病院に行くことが多くなりました。
機械や人の手を借りなければ、食べることや排泄すること
自分の意思を伝えることさえできない人が多いのに驚きます。
そうまでして生きる意味があるのだろうか…
最初はそう思っていましたが
少しずつ関わっていくうちに
看護や介護を受ける人が
私たちに成長のチャンスを与えてくれているのだ
と気づきました。
受け取る人がいなければ与えることすらできない。
必要としている人がいなければ
一体どこへ手を差し伸べればいいのでしょう。
高齢者だけではありません、
難病を抱えて生まれて来る赤ちゃんや
若くして亡くなる人もいます。
物質的に豊かになり、定年後の時間が長くなり
福祉システムも整いつつある時代だからこそ
今まではゆっくりと考える暇もなかった
老、病、死に対峙する機会が与えられ、そして
その中から生の意味も見えてくるような気がします。
看護や介護は一番高度な修行だと言われています。
その修行を提供している人、つまり
看護や介護を受けてくれる人たちの役割は
とても尊い…そう思いませんか?
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