« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月

2015年7月31日 (金)

人々のあやまちをゆるすなら

マタイによる福音書第六章の続きです。

もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

人をゆるすならば神様からゆるされる…と解釈すると何か釈然としないものを感じます。

ゆるす・ゆるされるが、誰かから誰かに為される他力本願的なことなら、なぜ人のために、しかも憎い相手のために、わざわざ私がしなくてはならないのでしょう。

ゆるすという行動が、自分がとらわれていた感情を自分のチカラで手放すという、自力本願のものなら、そして誰よりも自分のためにすること、と捉えると、この聖書のことばがストンと落ちてきます。

天の父は天上にではなく、ここ、私の中にいるのです。

第七章にもこのような言葉があります。

人をさばくな、自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

無意識のうちに意外とやっています、私も。

心の中で批判したり、ランク付けしたり。それで「勝った」ような気になっていると…

アブネ━━Σ(゚д゚;)━━!!

気をつけましょう

自分の想いは自分に返ってくる

大宇宙の法則に例外はありませんぞ

ところで、若い頃は、自分の中に神様がいるなんて思ってもいなかったのに、やっぱり赤線を引いていたんだわ、なんでだろーねー。変わってないね、私。

20150709_214417

| | コメント (0)

2015年7月26日 (日)

人の幸せより自分の幸せ

私はハンドヒーリング(手当)ができます

…というと、皆さんどんな印象を持つのでしょう。

生まれながらの特殊能力者

すごい修行をして悟った人

あっという間に病気を治してもらえる

悩みも苦労も消してくれる

自分の幸せよりも人の幸せを願う優しいお姉さん

…残念ながらどれもノーですよ

私は超鈍感でズボラです。

病気を治そうなんて思ってはいません。

あなたの悩みは自分で解決すべきです。

自分の幸せはさておき、人のために

、、なんて思っちゃいませんよ。

え~、なんだってぇ

びっくりしないでくださいね。

何もできないという意味ではありません。

痛みや悩みがある時、私たちは心身が緊張しています。

緊張することで一時的にこらえようとしているのでしょうね。

でもそれでは、いつまでたっても不要なものが出ていきません。

エネルギーはスムーズに流れていてこそ清らかで安定します。

レイキ・エネルギーを流すことで

ゆっくり&ぼっこりして緊張がほぐれます。

よいエネルギーがスムーズに流れるようになると

自分で立ち上がり、正しい方向に行く力が湧いてきます。

私たちヒーラーはその下準備をする係です。

縁の下の力持ち、下働きの女中さん、かな。

あなたに成り代わって問題を解決する

スーパーヒーローではないのです。

今月、初めてレイキのレベル2まで学んだ方は

お友達とそのペットに遠隔をしたいというのがキッカケでした。

できたてほやほやのヒーラーさんの手から

あっつあつのレイキが出ています。

彼女の掌はそんなに熱くないのに

触れられるとそこが物凄く熱く感じます。

最後に「遠隔よりも、まず自分を癒すことが先だと思いました」

と感想を言ってくださいました。

そうです、自分の心が安定して淡々とエネルギーを流せると

自然と周りに幸せが広がっていくのです。

無理して誰かに尽くす必要もありません。

両手いっぱいの幸せが指の間からこぼれていくように

ごく普通にそれは起こります。

そして、どれだけこぼれても

幸せが減ることはありません。

ハーバード大の先生も私と同じことを言っています(←自慢)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月13日 (月)

祈る時には

わたしはクリスチャンではありませんが

聖書には好きな言葉があります。

とくにマタイによる福音書に。

また、祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れたところにおいでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。また、祈る場合、異邦人のようにくどくどと祈るな。彼らは言葉数が多ければ、聞き入れられるものと思っている。だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存知なのである。 第六章5節~

ウン十年前に自分が赤線を引いた箇所

今も変わらず好きなのです。

形だけの儀式が苦手…というところも変わらない。

当時はどこだか知らなかったけど

神様がかくれんぼしている場所が

今では分かる気がします。

そして

求めない先からバレバレ…という言葉

最近とっても納得しています。

そんな私も神社で神様にお願いすることがひとつだけあります

「神様の御心が地上で行われるように、私を使ってください」

あ、もひとつ

「鈍感な私のために、サインはなるべく分かりやすくな~」
(◎´∀`)ノ 
スンマセンケド ヨロシュウ タノンマス

20150709_214535

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »