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2015年7月31日 (金)

人々のあやまちをゆるすなら

マタイによる福音書第六章の続きです。

もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

人をゆるすならば神様からゆるされる…と解釈すると何か釈然としないものを感じます。

ゆるす・ゆるされるが、誰かから誰かに為される他力本願的なことなら、なぜ人のために、しかも憎い相手のために、わざわざ私がしなくてはならないのでしょう。

ゆるすという行動が、自分がとらわれていた感情を自分のチカラで手放すという、自力本願のものなら、そして誰よりも自分のためにすること、と捉えると、この聖書のことばがストンと落ちてきます。

天の父は天上にではなく、ここ、私の中にいるのです。

第七章にもこのような言葉があります。

人をさばくな、自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

無意識のうちに意外とやっています、私も。

心の中で批判したり、ランク付けしたり。それで「勝った」ような気になっていると…

アブネ━━Σ(゚д゚;)━━!!

気をつけましょう

自分の想いは自分に返ってくる

大宇宙の法則に例外はありませんぞ

ところで、若い頃は、自分の中に神様がいるなんて思ってもいなかったのに、やっぱり赤線を引いていたんだわ、なんでだろーねー。変わってないね、私。

20150709_214417

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