父の遺言
介護施設にいた父が亡くなりました。96歳でした。
体の機能を少しずつ失っていく過程で、私たちに父本来の姿を見せてくれました。夫として父として会社人としての様子は見ていましたが、それらの条件を外したひとりの人間としての姿には新鮮なものがありました。
殆ど泣き言を言わず、毎日自分で決めた時間通りに漢詩、歴史、数学の勉強をしていました。お正月に家に帰るかときいても「いや、面倒くさいからここでいい」とあっさりとしたものでした。
施設のスタッフとはすぐに仲良くなって、とても親切にしていただけました。以前はあんなに夫婦喧嘩をしていたのに、母のヒーリングを「気持ちいい。ふみに習ったのか?」と喜んで、母が見舞いに行くと何も言わずに車いすで近づいてきたそうです。
寝たきりになり食事をしなくなり、声が出なくなっても、首を縦や横に振ってきちんと意思表示をしていました。
「ありがとう」と私が言うと、「なんのことだ?」という表情をしたので、「育ててくれてありがとう。お父さんの娘で幸せだったよ」と言うと、涙が一粒光っていました。その晩は泊まり込んで朝までヒーリング。エネルギーがまだしっかり流れる力強さには驚かされました。両手で何かを探している様子だったので、「私はここにいるよ、大丈夫」と言うと本当に嬉しそうににっこりしました。
翌日は母とクチパクで「お・と・お・さ・ん」「お・か・あ・さ・ん」と呼び合う練習をし、「あ・り・が・と・う」と何度も言ったそうです。
亡くなる2時間前まで呼びかけに応えて、まるでお手本のような大往生。それまで元気に脈打っていた、こぶし大の腹部動脈瘤は、心臓が止まると同時に消えてしまいました。
葬儀には赤ちゃんの頃から可愛がっていた近所の三姉妹が来てくれました。そういえば、犬と子供には好かれていたっけ。
親戚の小1の男の子が「おじいちゃんは写真と同じ顔で、天井のところにいる。笑いながらおはぎを食べている」と言ってました。見えるのか!
葬儀の翌日、「遺言状」と達筆で書かれ糊付けされた封筒を開けました。中にはひとこと、、、
「一切の延命治療は必要ない」
…って、死んでからどうやって治療するんだよ
大満足で大往生、そして大爆笑。父以上の死に方をするのは、なかなか難しそうです。
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