感情を感じる
ウィリアム氏のインタビューから帰宅した翌日、小松のマタニティークリニックに娘の見舞いに行きました。娘は妊娠中に子宮筋腫が分かったので帝王切開と決まり、その前日に入院したのです。今回は赤ちゃんだけを取り上げ、筋腫は残したまま経過観察をするという予定でした。
静かな病室で久しぶりに二人きり。娘のお腹に少しだけ手を当てていると、「この赤ちゃんが筋腫も一緒に持って出てきてくれればいいね」なんて言葉がポロリと出てきました。
その夜遅く、「赤ちゃんの心音が弱くなり、胎盤早期剥離が疑われるので救急車で大きな病院に搬送中」という連絡がありました。この時は夫も私もさすがに殆ど喋らず、病院に向かう車の中はとても静かでした
手術室の前で待っていると2時間ほどで赤ちゃんが出てきました。「孫ってかわいいよぉ」と先輩諸氏に何回も聞かされていましたが、さほど感じません。「私って冷たいおばあちゃんなのかなぁ?」
実は娘の様子がなかなか分からなかったからです。赤ちゃんよりも、手術室の扉の向こう側が気になりました。やっと娘の無事な顔を見た時、「ああ、私もこの子の親だったんだなぁ」と感じました。
執刀医から「筋腫が大きく、中が液状化していたので取りました」と言われてびっくり。見せてもらった筋腫の巨大さに二度びっくり。
その晩は麻酔が残っていて辛そうでしたが、娘は少しずつ回復していきました。慣れないながらも赤ちゃんを愛おしむ姿を見るにつれて、やっと私も「孫ってかわいい」と思えるようになりました。
しばらく我が家に二人が滞在し、二十数年ぶりに赤ちゃんの世話をしました。娘の負担を少しでも減らせたら、という思いの底には、私はいい母親ではなかった…あの時ああすればよかった、こうすればよかった…という尽きぬ後悔と、もしかして許してもらっていないのではという密かな恐れがあります。
ああ、これで帳消しにしておくれ、、、そんな「おばあちゃんの下心」なんかは、どこ吹く風。生まれたばかりの魂は、飲んで出して寝て泣いてを繰り返すだけ。そして天使の様に光り輝き、私たちを惹きつける
そう、赤ちゃんは見ているだけで癒される、抱っこするだけで暖かい。単なる筋肉反射だという「新生児の笑顔(写真)」が周囲の皆を笑顔にする。
その後、何人かの先輩たちから「娘がかわいいから、娘の子供がかわいいと思える」という言葉を聞きました。私は自分の娘がかわいくて、私の娘はその娘がかわいい。これが人情というか、一般的な感情とすれば、私はごくごく普通の母親だったのです。
たったひとつの魂の誕生のおかげで、色々な気持ちを味わいました。たとえそれが未消化なものであっても、存在そのものが愛おしい…まるで赤ちゃんのような私の中の感情たちです。
二人が帰って久しぶりにグッスリ寝たと伝えると「ふみちゃんが疲れていないか心配してた」と実家の母からメールがきました。「あ、そうか、この人は私の娘や孫よりも、まず私のことが気がかりなんだ。」
つまり私の母も、普通の母親だったのでした。
いつか娘の娘が赤ちゃんを産んで、娘も私もそんな気持ちを味わうのでしょうか?そんな「おばあちゃんの野望」を吹っ飛ばすかのように、天使は今日も飲んで出して寝て泣いてを繰り返しているのです