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2017年3月

2017年3月31日 (金)

最期の時に

月一回の凪(なぎ)のいえのボランティア・ヒーリングに行くと、オーナーのまち子さんから「ふみさん、Mさんってご存じ?まぁ、とにかくこちらへ」と奥の部屋へ案内されました。

まち子さんは「病院で最期を迎えるには抵抗があるけれど、自宅での看取りは困難だという人をお世話したい」という望みをもっていました。 そして、ちょうど数日前に初めての利用者さんを迎えたところだったのです。そして、その方が私と同じ町に住んでいたので「もしかして知り合いかも、、、」と察してくれたのです。

彼女の勘はみごとに当たりでした。

30年以上前に、私はMさんのお嬢さんのさっちゃんに英語を教えたことがあったのです。彼女は「どんな大人になったのか会ってみたいなぁ」と今でも思わせてくれる、明るく真っすぐな中学生でした。そのさっちゃんが東京から来てお母さんの傍にいたのです。

「まぁー、何年ぶり?まさかこんなところで会えるとは!」と、お互いに再会を喜び合っていると、Mさんのお姉さんと弟さんのお嫁さんもお見舞いに来られました。おふたりの息子さんたちにも英語を教えたことがあったので、またしても「まぁー、まさかこんなところで!」

説明もそこそこに、幸さんとふたりでヒーリングをさせていただきました。頑張っているさっちゃんや、膝が痛いというお姉さんにも手を当てながら、さっちゃんの子供たちの写真や動画を見せてもらって、わいわいがやがや。

母の最期を看取るという大仕事の最中に、「お母さん、みんな来てくれてよかったね」「お母さん、ほら見て、~だよ。」と明るく優しい声で話しかけるさっちゃんは、あの頃と少しも変っていませんでした。

いざという時こそ、その人の全てが出るもの。何も聞かなくても、彼女がどんな毎日を過ごしているかが分かりました。

返事はありませんが、娘さんや私たちの声は確かに聞こえているようです。Mさんの瞳に輝きが戻ってきたように見えました。時々両腕を動かし、片方の足も一瞬ポンと動きました。愛する人たちに囲まれて安心されたのでしょうね。

「また来ますね」と約束して帰りましたが、翌朝訃報が届きました。凪のいえでのお通夜では、やはりあの頃と変わらないさっちゃんが、暖かく堂々とした挨拶をしてくれました。きっとそれを聞いていたのでしょう、Mさんのお顔は元気な頃に戻られたかのように穏やかでした。

偶然が偶然をよんで、すべてがレールに乗せられていたかのように事が運び、Mさんの貴重な時間にご一緒させていただけました。有難いことです。

レイキの力を借りて実家の父を送った経験、緩和ケア病棟でのヒーリング、多くの方たちとの出会い…全てが一致団結して?私をここに導いてくれた気がします。人のために何かできないかと思い始めた、そのベストのタイミングでした。

大いなるものへの信頼と、自分はただの通路であるという謙虚さを忘れずに、これからもできることから少しずつ続けていきたいと思います。Mさん、そして皆様、本当にありがとうございました。

後日、さっちゃんからは「何かに導かれたような、不思議で、そしてとても有難い数日間の巡り合わせでした」、そしてまち子さんからは「凪のいえで新しい試みを始められそうですが、自分はただの通路だと教えられました」というメールをいただきました。

3人とも同じことを感じていたなんて、これも偶然なのでしょうか。いえ、それ以上かもしれません。

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2017年3月26日 (日)

体の癖と心の癖

「姿勢と歩き方 リボンフット」さんのウォーキングレッスンに行ってきました。

自分が普段からどんな姿勢や歩き方をしているかは殆ど意識していません。ごく「普通に」歩いているつもりでしたが、、、

もっと顔を後ろへ、あごを引いて、反り腰にならずに、おへそを背中の方へ等々、嬉しいアドバイスがビシバシ。

あらー、私ってば普段は「間違った」姿勢で立って歩いてるのね。

「今までとは違う体の使い方をするので、頭が大混乱のはずです」と言われて、「はーい、その通り」

「正しい」姿勢を保とうとすると、立つだけでも緊張しています。ましてや前に進むのは、「え?次はどう動けば?」とロボットみたいにギクシャクギクシャク…

今まで通りの「間違った」姿勢や動きに戻すと、力が入らずとてもラク。だから気が付いたら「ちゃんと」以前通りの「間違った」姿勢になっています。

そりゃそうだ、半世紀以上の歴史があるもんね、そう簡単には治らない。体に染みついた癖を正そうとすると、ものすごい抵抗勢力が台頭してきます、無意識という戦車に乗って。

これは心の癖と同じだわ。思い通りにならないと怒り散らして人をコントロールしたり、私が悪いのです、ダメなのですと自分を責めたり、運命や他の人のせいにしたり、落ち込んでみせて人の同情をかったり、苦しむ自分が大好きだったり…人には色々な心の癖があります。

無意識の内に一番楽な心の姿勢を選んで、人生を歩み続けているのではないかしら。「これは違う」と一度や二度思い直しても、すぐに古い癖の方に落ち着いてしまいます。

レイキ実践の途中にある方は是非フォローを受けて、心の癖チェックを自分でしてみてください。初めはギクシャクするし、心の筋肉痛もあるけれど、きちんとした軌道修正はとても価値あることだと思います。

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↑たった1時間余りの練習で、翌日はわき腹が筋肉痛、その翌日は脚の付け根が痛い。間違った姿勢が大好きな私の体でしたぁ

 

 

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2017年3月18日 (土)

赤ちゃんに教えられる

昨日生まれたと思っていた孫娘が新生児から乳児に成長して、人の顔や場所の違いに反応するようになりました。

久しぶりに私たちの家に来て最初は大泣きでしたが、すぐに「ひいじいちゃん」「おじいちゃん」「おじさんA」「おじさんB」など、次々と登場する新キャラたちに慣れいきました。

お母さんの話しかけに応えたり、おばあちゃんの「顔芸」を真似しようとしたり、こんなふうに人は成長していくのかぁ、と改めて観察するのはとても面白い。赤ちゃんの笑い声を聞いて、思わず笑顔になる大人たちの様子も…(まぁ、一番笑っているのは私なのですが)

言葉を使わずにコミュニケーションする彼女は、いつもダイレクトでシンプル。

そう、嘘がない。

自分の本当の感情を速攻で表現してくれると、こちらもつられて素直になってしまう。それがなんとも心地よいのです。太古の昔、人類に言語はなかったと言われますが、それは不便ではなく、逆に分かりやすかったのでしょうね。

お、そんなことより、私は「とてもスピリチュアルな人?」なんだから…ということで、ちょっと失礼してオーラを感じてみました。

爽やかで、涼やかで、こまやかで、柔らかく、透き通っていました。(と、私が感じただけですが)ん~、さすが最近まで神さまの国にいただけあるな…(ホンマか?)

色々なものを一直線に受け入れるんだろうなぁ。それが目を見張るような吸収力となり、時には心の傷にもなるのだろうな。こんなふうに人は大人の階段を昇るのかぁ、と自分の子供時代、そして子育て時代を振り返っていました。

この時期は言葉が分からないからこそ、言葉になる前の感情を吸収できるのではないでしょうか。だから、近くにいる人が何を思い、どんな感情を持っているかを自分の中に簡単に浸透させるのかもしれません。私たちは言葉を覚えるとともに、この能力を忘れていくのでしょうね。

赤ちゃんの傍にいる人には「幸せでいてほしい」と心から願います。幸せでいれば、本当の感情と言葉がずれることはなく、ダイレクトでシンプルなコミュニケーションができます。それが一番心地よい揺りかごになるのではないでしょうか?

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一週間ほど滞在して帰った彼女は、パパのことを忘れていたそうです。

そうだ、赤ちゃんには記憶がない。神さまの国から来たばかりで、見事に「今ここ」を生きている。吸収も早いが手放すのはもっと早いのだ

…ってことを後で知るおばあちゃんでした 次に我が家に来た時は「はじめまして」という挨拶からですね。

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