赤ちゃんに教えられる
昨日生まれたと思っていた孫娘が新生児から乳児に成長して、人の顔や場所の違いに反応するようになりました。
久しぶりに私たちの家に来て最初は大泣きでしたが、すぐに「ひいじいちゃん」「おじいちゃん」「おじさんA」「おじさんB」など、次々と登場する新キャラたちに慣れいきました。
お母さんの話しかけに応えたり、おばあちゃんの「顔芸」を真似しようとしたり、こんなふうに人は成長していくのかぁ、と改めて観察するのはとても面白い。赤ちゃんの笑い声を聞いて、思わず笑顔になる大人たちの様子も…(まぁ、一番笑っているのは私なのですが)
言葉を使わずにコミュニケーションする彼女は、いつもダイレクトでシンプル。
そう、嘘がない。
自分の本当の感情を速攻で表現してくれると、こちらもつられて素直になってしまう。それがなんとも心地よいのです。太古の昔、人類に言語はなかったと言われますが、それは不便ではなく、逆に分かりやすかったのでしょうね。
お、そんなことより、私は「とてもスピリチュアルな人?」なんだから…ということで、ちょっと失礼してオーラを感じてみました。
爽やかで、涼やかで、こまやかで、柔らかく、透き通っていました。(と、私が感じただけですが)ん~、さすが最近まで神さまの国にいただけあるな…(ホンマか?)
色々なものを一直線に受け入れるんだろうなぁ。それが目を見張るような吸収力となり、時には心の傷にもなるのだろうな。こんなふうに人は大人の階段を昇るのかぁ、と自分の子供時代、そして子育て時代を振り返っていました。
この時期は言葉が分からないからこそ、言葉になる前の感情を吸収できるのではないでしょうか。だから、近くにいる人が何を思い、どんな感情を持っているかを自分の中に簡単に浸透させるのかもしれません。私たちは言葉を覚えるとともに、この能力を忘れていくのでしょうね。
赤ちゃんの傍にいる人には「幸せでいてほしい」と心から願います。幸せでいれば、本当の感情と言葉がずれることはなく、ダイレクトでシンプルなコミュニケーションができます。それが一番心地よい揺りかごになるのではないでしょうか?
一週間ほど滞在して帰った彼女は、パパのことを忘れていたそうです。
そうだ、赤ちゃんには記憶がない。神さまの国から来たばかりで、見事に「今ここ」を生きている。吸収も早いが手放すのはもっと早いのだ
…ってことを後で知るおばあちゃんでした 次に我が家に来た時は「はじめまして」という挨拶からですね。
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