戦争と平和 (いつかどこかで11)
幼稚園から小学校低学年まで、よく見た夢がありました。
暗く細長い何かの中、10名近くの「部下」の前で、重大な命令を下そうとしている私。直立不動の「彼ら」の顔はススで汚れているのに、一列に並んで前方を凝視する瞳だけが輝いていました。
「行けと言ってください」「あなたの命令のために命を捨てましょう」という心の声が聞こえました。私のゴーサインで彼らは全員死にます。その覚悟が彼らには既にできています。勿論私も死ぬことになっていました。
その時、彼らの後ろに沢山の人たちの姿が見えました。故郷の家族、友人、恋人…10名ほどの人間の死がもたらす、数えきれない人たちの嘆きと悲しみを痛いほど感じました。
しかし、本国からの命令は絶対で、他に方法はありません。「行け」と言うしかないのです。
その一瞬の迷いの時に必ず目が覚めました。
いつものことだったので、「あぁ、またあの夢をみたのか」と、ごく当たり前の感覚でした。むしろ、何か懐かしい感じがして余韻にひたっていたと記憶しています。
次第にその夢を見ることもなくなり、いつしかそんな夢を見ていたこと自体を忘れてしまっていました。
ここ数年でしょうか。レイキ実践をするようになって、突然思い出しました。
あれは大きな船の底か潜水艦の中だったのでは。日本かしら外国かしら。いつの時代だったのでしょう。
臼井霊気療法には海軍の人たちも多く入会していたというから、もしかしてあの時の「私」も?などと妄想は膨らみますが、何の証明もできません。前世があるかどうかも、死んでみないと分かりません。
確かなことがあるとすれば、今の私は戦争が嫌い=平和がとても有り難いと思っていること。
映画のスクリーンで、主人公以外は虫けらのように吹っ飛ばされるシーンがあるけど、そして、敵は全て邪悪っていう設定なんだけど、吹っ飛ばされる敵兵ひとりひとりに、家族、友人、恋人がいるんだよねー、と思いながら見ています。
ひとりひとりに人格と人生と、そして人との関わりがあります。そこに思いを馳せることができる場所と時代に生まれてきたのは、本当に有難いと思います。
あ、それから海底とか、暗くて狭くて出口がないところとか、今もあんまり好きじゃないんです。前世があるかどうかは不確かなんだけどね
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 愛の発現(2018.11.20)
- 小さな町の観光(2018.07.07)
- 地震(2018.06.27)
- 弟子に準備が整った時に、師は現れる(2018.12.28)
- なんじゃもんじゃの木5(2018.05.08)
「いつかどこかで」カテゴリの記事
- いつかどこかで12(生と死)(2018.07.30)
- 戦争と平和 (いつかどこかで11)(2017.05.09)
- いつかどこかで 番外編?(2014.12.05)
- いつかどこかで9(2014.12.17)
- 冬休みの物語(2013.12.28)
コメント