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2017年5月

2017年5月28日 (日)

指輪の思い出

父の一周忌は親戚が集まり賑やかに行われました。何十年ぶりかに会う母方のいとこ達…長崎県平戸のネイティブ・ラングエッジは時々理解不能でしたが遠路はるばる(青春18切符で)来てくれる気持ちが有難い。母も懐かしい話ができて嬉しそうでした。

葬儀や法事にキラキラ光るものは身につけないのがエチケットと知りつつ、キラキラ光る青い指輪をつけて行きました。

これは母が若い頃つけていたものです。半世紀前はまだ指輪はぜいたく品で、母が指輪をするのはお出かけの日だけでした。黒いコートをまとった母が赤い口紅をひき、最期にこの指輪をつけるのを見ると、なんとなく「行くぞ!」という気がしたものです。

実家の断捨離を始めた数年前に、そのことを思い出して、「お母さん、昔していた青い指輪ある?」ときくと、「?」という顔をされましたが、細かく説明すると、「ああ、アレね」とようやく思い出した様子です。キラキラとした青の美しさは健在で、私の指にすっと馴染んだようでした。

「これ、私にくれない?」「いいわよ。東京にいた時お父さんが買って来たの。」「これ本物かしらねぇ」「偽物に決まってるわよ。あの頃とっても貧乏だったんだから、高い物なんて買えるわけがない。」とにべもありません。それをいいことに有難く頂戴して帰りました。

今回、その指輪を母に見せると「これ、初めて自分で買った指輪よ。高かったんだから~」とノタマうではありませんか 「え?お父さんが買った偽物だって言ってたわよ!」「え?あら?そうだったかしら~。これきれいよね、本物のサファイアよ。私の誕生石だから」

見事に記憶が塗り替えられていましたい、いったいどっちが本当なんだっ

父が買ったもの、というので一周忌につけて行った娘の気遣いは、みごと水泡に帰したわけです。しかも例のポジティブ変化球で

まっいいか、どっちでも。私の中のいい思い出とリンクしているのだから、今私がつけているものは、私の中では「ホンモノ」だ。

おかげさまで、人の記憶がいかにいい加減なものかを教えてもらいました。母だけではありません。私だってその時々で勝手な塗り替え作業をやっているはずです。

「あの日あの時アイツがあんなことを言ったから」

長いこと「疑うことのない事実」として存在していたことも、もしかしてそれは塗り替えられた後のあやふやで自分本位な思い出なのでは、、、と教えてもらいました。しかも面白おかしい形で。

そんなこんなの私の心の変化なんかに関係なく、指輪はキラキラ、天上で父はニコニコなのでありました。

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2017年5月13日 (土)

感情を解放する

父が亡くなってからはなるべく実家の母を訪ねるようにしています。庭の掃除や、断捨離や、病院への付き添い…一泊や二泊の滞在はあっという間です。

明日の昼には帰る、という時に「あー明日からまたひとりか。さびしいなぁ」と大きな声で独り言(?)を言われました。作戦とまではいかないのでしょうが、相手の立場より自分の感情を優先する直球ストレートは彼女の得意技。自分にはない技の持ち主には太刀打ちできません。

配偶者を亡くしたばかりの1人暮らしの高齢者だから、あと暫くの辛抱だからと、母の言葉を黙って聞いていると、子供の頃についた小さな傷たちが浮き上がってきていました。たぶんひとつひとつは単なる「言い間違い」とか、「聞き間違い」とか、「すれ違い」とか小さなものなのだろうけど、まだ鎧で防御することを知らなかった無垢なハートにはキツかったのです。

なぜだか分からないけど、今まで上手にまとってきた鎧が、ここにきてスッポリと外れてしまいました。

「私だってさびしかった!」と下手くそながら直球のつもりです。

母の顔の前に大きなクエスチョンマーク「?」がポッコリ浮かんでいます。

『しまった、伝わっていない。』

仕切りなおして、「あなたの娘で私はずっとさびしかった!」「私がさびしいと言ったとしても、お母さんは聞いてくれなかったやろ」

「だって、あの頃は忙し…」

予測していた言い訳を途中で遮り、「いつもいつも、忙しい、忙しいって!」

そして最後のとどめは「お弁当もろくに作ってくれなかった」

孫もいて正真正銘のおばあちゃんの私なのに、相手は1人暮らしの高齢者なのに、私は小さな子供に戻っていました。さびしいと感じてはいけない、~~をしてほしいと言ってはいけない、言っても聞いてもらえない…ずっと大切にしまっていた感情の、「解放」と言えばかっこいいのですが、もはや「爆発」でした

夜のヒーリングもせずにそのまま二階にあがりました。 やけに濃度の薄い涙が星飛馬のナイアガラ涙(T_T)のように流れたあと、不思議なくらいに心が穏やかになっていました。その次に猛烈に眠くなり、あっという間に爆睡--翌朝の目覚めはとても心地よい物でした。

帰る前にヒーリングしていると、「昨夜はよく眠れなかった。昔のこと思い出したり…。ごめんね、色々思い出させて…」と母。私の下手くそな直球でも、なんとか受け止めてくれたようです。

玄関でハグをして別れる時「あの頃、夢中だったの。子供を一人前にするために」 とダメ押しの言い訳。でも自分の心が晴れ晴れしているので、それは許せました。

…が、「頑張ったのよ、お父さんとふたりで」って、おい!「お父さんの給料が安いから、私が働かないと食べていけない」ってのが口癖だったよね、確か!いつの間に、「ふたりで手を合わせて歩んできた」に記憶をすり替えたんだ!!

この速攻ポジティブ変化球も、昔から彼女の得意技だったのです。そして私にはやっぱり太刀打ちできない大技なのでした。心が晴れ晴れしていたので、これも簡単に許せました。

更に不思議なことに、夫に対するわだかまりもずいぶん緩くなっていることに後日気がついたのです。感情の解放(爆発?)恐るべし

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今回も数袋の古い服を処分。物も感情も不要なものは外に出たがっています。埃だらけなのに、しっかり握りしめて自分を息苦しくしていたのは自分です。

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2017年5月 9日 (火)

戦争と平和 (いつかどこかで11)

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幼稚園から小学校低学年まで、よく見た夢がありました。

暗く細長い何かの中、10名近くの「部下」の前で、重大な命令を下そうとしている私。直立不動の「彼ら」の顔はススで汚れているのに、一列に並んで前方を凝視する瞳だけが輝いていました。

「行けと言ってください」「あなたの命令のために命を捨てましょう」という心の声が聞こえました。私のゴーサインで彼らは全員死にます。その覚悟が彼らには既にできています。勿論私も死ぬことになっていました。

その時、彼らの後ろに沢山の人たちの姿が見えました。故郷の家族、友人、恋人…10名ほどの人間の死がもたらす、数えきれない人たちの嘆きと悲しみを痛いほど感じました。

しかし、本国からの命令は絶対で、他に方法はありません。「行け」と言うしかないのです。

その一瞬の迷いの時に必ず目が覚めました。

いつものことだったので、「あぁ、またあの夢をみたのか」と、ごく当たり前の感覚でした。むしろ、何か懐かしい感じがして余韻にひたっていたと記憶しています。

次第にその夢を見ることもなくなり、いつしかそんな夢を見ていたこと自体を忘れてしまっていました。

ここ数年でしょうか。レイキ実践をするようになって、突然思い出しました。

あれは大きな船の底か潜水艦の中だったのでは。日本かしら外国かしら。いつの時代だったのでしょう。

臼井霊気療法には海軍の人たちも多く入会していたというから、もしかしてあの時の「私」も?などと妄想は膨らみますが、何の証明もできません。前世があるかどうかも、死んでみないと分かりません。

確かなことがあるとすれば、今の私は戦争が嫌い=平和がとても有り難いと思っていること。

映画のスクリーンで、主人公以外は虫けらのように吹っ飛ばされるシーンがあるけど、そして、敵は全て邪悪っていう設定なんだけど、吹っ飛ばされる敵兵ひとりひとりに、家族、友人、恋人がいるんだよねー、と思いながら見ています。

ひとりひとりに人格と人生と、そして人との関わりがあります。そこに思いを馳せることができる場所と時代に生まれてきたのは、本当に有難いと思います。

あ、それから海底とか、暗くて狭くて出口がないところとか、今もあんまり好きじゃないんです。前世があるかどうかは不確かなんだけどね

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2017年5月 3日 (水)

天の声?

時々やってくる無性に眠い時期

朝に爆睡、昼に爆睡、夜に爆睡

お酒を飲みたくなくなって三か月

おまけに食欲までないこの頃

どうなるの私…いいのか私

って考えることもできず爆睡

誰も逆らってはならぬ、天の思し召しに

とりあえず眠ります

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