指輪の思い出
父の一周忌は親戚が集まり賑やかに行われました。何十年ぶりかに会う母方のいとこ達…長崎県平戸のネイティブ・ラングエッジは時々理解不能でしたが遠路はるばる(青春18切符で)来てくれる気持ちが有難い。母も懐かしい話ができて嬉しそうでした。
葬儀や法事にキラキラ光るものは身につけないのがエチケットと知りつつ、キラキラ光る青い指輪をつけて行きました。
これは母が若い頃つけていたものです。半世紀前はまだ指輪はぜいたく品で、母が指輪をするのはお出かけの日だけでした。黒いコートをまとった母が赤い口紅をひき、最期にこの指輪をつけるのを見ると、なんとなく「行くぞ!」という気がしたものです。
実家の断捨離を始めた数年前に、そのことを思い出して、「お母さん、昔していた青い指輪ある?」ときくと、「?」という顔をされましたが、細かく説明すると、「ああ、アレね」とようやく思い出した様子です。キラキラとした青の美しさは健在で、私の指にすっと馴染んだようでした。
「これ、私にくれない?」「いいわよ。東京にいた時お父さんが買って来たの。」「これ本物かしらねぇ」「偽物に決まってるわよ。あの頃とっても貧乏だったんだから、高い物なんて買えるわけがない。」とにべもありません。それをいいことに有難く頂戴して帰りました。
今回、その指輪を母に見せると「これ、初めて自分で買った指輪よ。高かったんだから~」とノタマうではありませんか 「え?お父さんが買った偽物だって言ってたわよ!」「え?あら?そうだったかしら~。これきれいよね、本物のサファイアよ。私の誕生石だから」
見事に記憶が塗り替えられていましたい、いったいどっちが本当なんだっ
父が買ったもの、というので一周忌につけて行った娘の気遣いは、みごと水泡に帰したわけです。しかも例のポジティブ変化球で。
まっいいか、どっちでも。私の中のいい思い出とリンクしているのだから、今私がつけているものは、私の中では「ホンモノ」だ。
おかげさまで、人の記憶がいかにいい加減なものかを教えてもらいました。母だけではありません。私だってその時々で勝手な塗り替え作業をやっているはずです。
「あの日あの時アイツがあんなことを言ったから」
長いこと「疑うことのない事実」として存在していたことも、もしかしてそれは塗り替えられた後のあやふやで自分本位な思い出なのでは、、、と教えてもらいました。しかも面白おかしい形で。
そんなこんなの私の心の変化なんかに関係なく、指輪はキラキラ、天上で父はニコニコなのでありました。