光と影
ほぼ毎月の大津でのボランティアは午後からなので、午前中に京都を歩くことにしています。もともと観光とか旅行とかが嫌いなズボラな性格で、用事がない限り出歩くことはありません。でも、人としてこんなことでいいのかと反省し(嘘です)、目的もなくブラつく練習を始めました。
11月は国宝展に行きました。入場料を払ってからの大行列。建物に入ってからの大渋滞。並びながら「全部観ないで帰ろう」と決める。やっぱりズボラ。
その決心は大当たりでした。一階の最初の展示、金剛寺の大日如来さんと仲良しになったので、すっかりお腹いっぱい。もう後はどうでもよくなったからです。
入り口で横からの姿が見えた途端、如来さんは自分の口で「どーん」と言って歓迎してくれました。
次に「どや?」と言って笑いをとりにきました。さすが大阪出身。
太陽の化身?でありながら、地球にどっしり座っている。こちらも椅子に座ってゆっくりと向き合いました。いるだけで満たされる。
所々はげ落ちてはいますが、金箔が残った体は、薄暗い展示場でひときわ輝いていました。「ああ、これが光」「しかもあったかい」「黙っていてもフレンドリーだね、あんた」「影があるから光の方向が分かるのね」
ことばのない会話を続けた後、思い切って聞いてみました。「光と影は両極ではなく、程度の差ですか。」「闇は光の量が不足している現象ですか」「光があるから影ができるのですか」
大日如来さんは即答でした。
「そんな細かいこといちいち考えんでええ」
そして再び「どーん」と言って
「これでいい。これでいいんや」
何が「これでいい」のやら説明もないのに、すごく納得していました。
今年の夏のちょっとごちゃごちゃした体験がいったい何を意味したのか、それから暫くして明らかになり、今まで進んできた方向が間違っていなかったと確認できました。
これからもズボラですが、どーんと居るだけであったかくてオモロイ存在を目指しますね。
最初に決めた通り、他の国宝は観ずに帰りました。ごめんね、頼朝。 今週のボランティアの前はどこに行こうかな~
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