怒りのエネルギー
父を亡くして暫くは珍しく落ち込んでいた母ですが、デイケアで少し運動をするようになって、脚力が戻ってきました。血行が良くなったせいか、母の難聴が少し治っているのには驚きました。
元気になるのはいいのですが、彼女のお買い物癖まで戻ってきたようです。先週実家に帰ってみると、茶の間に「水素云々」と書いた包みが置いてあり、「これを売っているひとが、これからアンタにも話を聞かせに来る」と言うではありませんか。
日頃からお世話になっている親戚のTちゃんの紹介でやって来た「親切でとてもいい人」が、「健康にいいと説明してくれた」「その人は、これを沢山の人に紹介して歩いているらしい」
…って、それは例の「〇〇〇商法」
「ちょっとお母さん、一体いくらなの?」
「30万」
「ぎゃーーーーっ」
幸いまだ買ってはいない、ということだったので、約束の時間に玄関のチャイムが鳴ると、私は包みをひっつかんでドアを開け、「これはお引き取りください。もうこれで最後にしてください。Tちゃんとの親戚づきあいはしますが、こういうお話は困ります。Tちゃんには私から電話しておきます」と言葉遣いは丁寧でも、明らかに不愉快そうな語調でまくし立てました。
大人しく帰っていく相手に「もう来ないでください」とダメ押しするほど、私の中に怒りがこみ上げていました。
独り暮らしの老人の寂しさに漬け込むやり方に、断れない相手に紹介させる商法に、兄や私に相談もせずに高額商品を買おうとした母に、私の中の「正義」が「許してはならぬ」と「怒りの裁き」を下していました。
巧みな商法のカモになっていること、そういう相手にはどう対処しなければならないかということ、、、私の中の「正論」を母に「言ってきかせ」ましたが、半分も伝わっていませんでした。
「正義」と「正論」を振りかざしながら、自分の右肩から背中にかけて、熱い痛みが走りました。
筋肉がキューッと縮み上がり、真っ赤に熱した鉄の棒になったような感覚。
「痛い、すごく痛い。これって以前も感じたことがある」
うつが発症し突然動けなくなったあの夜でした。肩の違和感がなんとも不快で、背中が鉄板になったようなって、寝返りもできませんでした。あの時と同じ。
「アイツの生霊が憑いた」「こんなことになったのはあの人のせい」「私は正しいことをしてきた」「悪いのはみんな他の奴ら」…原因は全て外だと信じていた時に感じた痛み。
でも、自分を動けなくしたのは、私の中の激しい怒りだったのです。
そしてそれは、「私の気持ちが何故あなたには分からないのか」という深い悲しみであり、「今までもこれからも、誰も私のことを分かってくれない」という恐れでもありました。
あの時はそれに気づかなかったために、怒りと悲しみをずっとかかえ続けていました。
幸いなことに今回は「原因は自分だ」と分かりました。気づきさえすれば、手遅れになる前に手放すことを始められます。
まだこんな所にあったのね、、、懐かしさすら感じるような古い傷の残り火が、体の中でくすぶっているのを、しばらく感じ続けていました。
身近な人は、自分の中の奥深い感情に気づく手助けをしてくれます。時に痛みを伴って。そう分かれば、痛みすらも有り難い存在なのかもしれません。
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