地震
デンマークの現代レイキマスターのトリリーが日本に来て、土居先生の芦屋交流会に参加したい、というので、旧交を温めに行きました。
土居先生のセミナーを自国で企画実行したり、単独で日本に何度も来たり、アクティブな彼女です。本業は歌手で、ヨーロッパ各国で活躍中です。
自作の歌、Times are changingのCDをくれたので、私のセミナーでもコピーして受講者に渡しています。それを披露してもらい、皆で一緒に歌いました。
サビの部分は I go where Reiki takes me. 私はレイキの導きのまま行くという素敵な歌詞です。自分の都合の良い方向ではなく、大いなるものに従うという謙虚さと、レイキの導きは間違いないという自信がなくては、この歌詞は作れません。
→ 覚悟
交流会の後、芦屋駅前で更に旧交を温めたあと、大阪北部にある母の家に一泊しました。朝食のキャベツを刻んでいたその時です…
ゴゴゴゴゴゴゴと、遥か彼方から聞き慣れない音が聞こえてきました。
外で誰かが何かしているのかしら、何だろう?
不思議なことに台所の下の方が細かに振動し、すぐに上の方に上がってきました。
何だろう、これって?何かの冗談かしらねー…とボンヤリした瞬間、自分の視覚の中の全てが物凄い速さで揺れていました。
地震だ!なんで、ここで地震が起こる?
あ、上から何かが落ちてくるかもしれない
お母さんは?お母さんはすぐには逃げられない(酷い外反母趾でヨタヨタ歩きです)
振り返ると母も狐につままれたような顔でそこに立っていました。
揺れがおさまると、母に椅子の上の座布団をかぶせ、どこを通れば何かが倒れてくる可能性が低いか考えながら玄関へたどり着きました。
扉を開けて玄関の椅子に母を座らせ、いつ余震がくるかもしれない、もっと酷い揺れがくれば、老朽化しているこの家は崩れるかもしれない、とジッとしている時に、初めて怖くなりました。
幸いなことに最初の揺れが最大でしたが、その夜は2時間ごとの余震で飛び起きました。
窓辺に置いてあった重たい浄水器が、私が立っていた方向へ倒れていました。父の三回忌の時に私が寝ていた枕元に、大きな額が落ちていました。父の大量の本を本棚ごと処分した後だったので、下敷きにもなりませんでした。
何より、トリリーが日本に来てくれたので、私はこの日に大阪にいたのです。母ひとりではさぞや心細かったでしょう。大いなるものの導きは有り難い…
と感激する間もなく…
余震に怯える娘のことは全く無視して、「朝ごはん食べなきゃ、お腹へった」「あんた、補聴器とってきてよ、ベットの横にあるから」「どうなってるか、分からないからラジオを持ってきて」「もう、家に入っていいでしょ。お化粧しなきゃ」と矢継ぎ早の指示。
近所中がすっぴんのあの日、真っ赤な口紅はあなたひとりでした
阪急もJRも不通になったので、帰宅を2日延ばして何もせずに母と過ごしました。それが嬉しかったのか「おかげで楽しかったわ」というメールがきました
「た、楽しかったのか…」
3日も経つとTVから地震のニュースが減り、いつものお笑い番組やワールドカップの映像が何度も流されていました ライフラインがまだ復旧せず不便な生活をしている人、復旧工事の為に必死で働いている人がいるのに、世間一般はそっちに関心があるのか。実際に体験したかしないかで、温度差があるものなんだな、と感じました。
世界のどこかで戦争や内戦が起こっているその時に、私だってドラマを観て泣いたり笑ったりしているし、美味しい物を食べに出かけたりしている。だからといって、楽しいことをしてはいけないとも思いません。大いに楽しみ、明るいエネルギーを発散すべきです。
現在日本では戦争こそ起こっていませんが、地震はいつでもどこでも起こります。それを忘れないでね。「安全の為に」家の中の不要物は処分しましょう。上にあるものは下に落ちるのです。引き寄せの法則もいいけど、重力の法則も間違いありません。私は食器洗い機を取っ払いましたよ。
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