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2018年6月

2018年6月27日 (水)

地震

18579276_10211539894306291_67262804 去年 二条城で

 

デンマークの現代レイキマスターのトリリーが日本に来て、土居先生の芦屋交流会に参加したい、というので、旧交を温めに行きました。

土居先生のセミナーを自国で企画実行したり、単独で日本に何度も来たり、アクティブな彼女です。本業は歌手で、ヨーロッパ各国で活躍中です。

自作の歌、Times are changingのCDをくれたので、私のセミナーでもコピーして受講者に渡しています。それを披露してもらい、皆で一緒に歌いました。

 

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サビの部分は I go where Reiki takes me. 私はレイキの導きのまま行くという素敵な歌詞です。自分の都合の良い方向ではなく、大いなるものに従うという謙虚さと、レイキの導きは間違いないという自信がなくては、この歌詞は作れません。

→ 覚悟

交流会の後、芦屋駅前で更に旧交を温めたあと、大阪北部にある母の家に一泊しました。朝食のキャベツを刻んでいたその時です…

ゴゴゴゴゴゴゴと、遥か彼方から聞き慣れない音が聞こえてきました。

外で誰かが何かしているのかしら、何だろう?

不思議なことに台所の下の方が細かに振動し、すぐに上の方に上がってきました。

何だろう、これって?何かの冗談かしらねー…とボンヤリした瞬間、自分の視覚の中の全てが物凄い速さで揺れていました。

地震だ!なんで、ここで地震が起こる?

あ、上から何かが落ちてくるかもしれない

お母さんは?お母さんはすぐには逃げられない(酷い外反母趾でヨタヨタ歩きです)

振り返ると母も狐につままれたような顔でそこに立っていました。

揺れがおさまると、母に椅子の上の座布団をかぶせ、どこを通れば何かが倒れてくる可能性が低いか考えながら玄関へたどり着きました。

扉を開けて玄関の椅子に母を座らせ、いつ余震がくるかもしれない、もっと酷い揺れがくれば、老朽化しているこの家は崩れるかもしれない、とジッとしている時に、初めて怖くなりました。

幸いなことに最初の揺れが最大でしたが、その夜は2時間ごとの余震で飛び起きました。

窓辺に置いてあった重たい浄水器が、私が立っていた方向へ倒れていました。父の三回忌の時に私が寝ていた枕元に、大きな額が落ちていました。父の大量の本を本棚ごと処分した後だったので、下敷きにもなりませんでした。

何より、トリリーが日本に来てくれたので、私はこの日に大阪にいたのです。母ひとりではさぞや心細かったでしょう。大いなるものの導きは有り難い…

と感激する間もなく…

余震に怯える娘のことは全く無視して、「朝ごはん食べなきゃ、お腹へった」「あんた、補聴器とってきてよ、ベットの横にあるから」「どうなってるか、分からないからラジオを持ってきて」「もう、家に入っていいでしょ。お化粧しなきゃ」と矢継ぎ早の指示。

近所中がすっぴんのあの日、真っ赤な口紅はあなたひとりでした

阪急もJRも不通になったので、帰宅を2日延ばして何もせずに母と過ごしました。それが嬉しかったのか「おかげで楽しかったわ」というメールがきました 

「た、楽しかったのか…」

3日も経つとTVから地震のニュースが減り、いつものお笑い番組やワールドカップの映像が何度も流されていました ライフラインがまだ復旧せず不便な生活をしている人、復旧工事の為に必死で働いている人がいるのに、世間一般はそっちに関心があるのか。実際に体験したかしないかで、温度差があるものなんだな、と感じました。

世界のどこかで戦争や内戦が起こっているその時に、私だってドラマを観て泣いたり笑ったりしているし、美味しい物を食べに出かけたりしている。だからといって、楽しいことをしてはいけないとも思いません。大いに楽しみ、明るいエネルギーを発散すべきです。

現在日本では戦争こそ起こっていませんが、地震はいつでもどこでも起こります。それを忘れないでね。「安全の為に」家の中の不要物は処分しましょう。上にあるものは下に落ちるのです。引き寄せの法則もいいけど、重力の法則も間違いありません。私は食器洗い機を取っ払いましたよ。

 

 

 

 

 

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2018年6月16日 (土)

「人は何で生きるか」トルストイ

 

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先月放送の「鶴瓶の家族に乾杯」で、藤井フミヤさんが熊本の西原村のちいさな本屋さんに立ち寄りました。児童書を主に扱う素敵なお店です。

 

そして、彼が何気なく手に取った本がトルストイの民話「人は何で生きるか」

 

しかもそれは店主のご主人の北御門(きたみかど)二郎氏が17歳の時に大変感銘を受け、トルストイの翻訳を始めるきっかけになったたものでした。つまりその書店の原点とも言える一冊を、何気に手をとったのです。藤井フミヤさんは「俺って凄い」と自画自賛。

 

放映から3日後、湯川久子氏の「ほどよく距離を置きなさい」を読んでいると、なんと、トルストイの民話「愛あるところに神あり」が紹介されていました。もうこれは読むしかないでしょう、ということで早速図書館に予約をしました。「私って凄い」と自画自賛したのは言うまでもありません。

 

とても読みやすいのに、内容は深い。深すぎる。キリスト教、いえ全ての信仰を超えた、人間の存在の基本となる、愛しあい、許し合い、助け合うことの尊さが満載です。

 

関連記事 「人々のあやまちをゆるすなら」  「ゆるす?ゆるさない?」  「ライフ・レッスン」エリザベス・キューブラ・ロス  「二老人」トルストイ

 

思わず号泣してしまいました。子供でも読めるけど、これを読んで感動するには、人生をひと回りして、さまざまな感情を味わいつくす必要があるかもしれません。(恐るべし青年北御門!)

 

父の本棚には世界文学全集があり、当然のようにトルストイの代表作が鎮座されていました…が、登場人物が多すぎるわ、名前が長すぎるわ、ひとりの人物が複数の名前で呼ばれるわで、3ページで挫折。まさかその、にっくき大文豪が、短くて読みやすい民話をいくつも残していたとは。

 

まさかのおまけは、トルストイは自分が書いた「戦争と平和」(題名はご存知ですよね)など、貴族社会の物語を、後に否定していることです。文部省よ、ちゃんと調べてから教科書に載せてくれぃ。あ、今は文科省か。

 

家も土地も、明日の食べ物にすら窮していた靴屋のセミヨンが、冬の寒空の下で裸同然で倒れていた青年を助けて家に連れ帰ります。この謎めいた青年は、実は…

 

さて、ひとは何によって生きているのでしょうか。それは読んでからのお楽しみ。

 

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「神は人間がてんでんばらばらに生きることをお望みにならず、むしろ人々が合一して生きることをお望みなのです。だからこそ、一人一人には、自分のために何が必要かを啓示なさらず、すべての人々に、自分にとっても、万人にとっても必要なものを啓示されたのです。」

 

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人は何で生きるか―訳者のことばより

 


「芸術は一部特権階級の玩弄物であってはならず、万人にとっての心の交流の場であるべきだという思想に基づいて書かれたトルストイの民話は、老若男女を問わず、あらゆる階層の人々に親しみやすい平易さと簡潔さの中に深い心理が含まれていて、全人類にとっての最高の教科書になっていると思う。」

 

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愛あるところに神あり―解説にかえてより


「孔子の論語のなかの「仁遠からんや、我、仁を欲すれば、ここに仁至る」とまさに同じで、神も仁も自分の外にあるのではなく自分の心の中にある」

 

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論語は仁(じん)と呼び、色々な宗教が神と呼び、レイキ実践者はレイキと呼ぶ「それ」は、外にあるのではなく、内にある。それを内側から惜しみなく発した時、光り輝くのです。

 

あー、ちなみに、自分の事だけを考えている人の顔は、天使の目からは「死相」に見えるのだそうです。ひぇ~~、どうりで、自分勝手だったあの頃の私は体調が悪かったぁ。死神にとりつかれてたのか。くわばらくわばら

 

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愛あるところに神あり (トルストイの散歩道)

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2018年6月 9日 (土)

フォローアップへようこそ

受講した方からフォローの申し込みを受けると、とても嬉しい私です。もう一度学び直そう、もっと学び進めようと思ってくれているのですよね。

2年前にレベル3を受講した方から申し込みをいただいて、昨日の午後は基礎知識からレベル2まで、マンツーマンで復習しました。 来週はレベル3をじっくりと復習する予定です。

レイキは武道や華道・茶道と同じで、日々の練習・実践を通して徐々に身に付けていくものです。一度だけのセミナーで「あっという間に全てが解決する」のではありません。続けていくうちにいつのまにか自分が成長し、物事がスムーズに進むようになるのです。

ヨガも同じような考え方のようです。時々お世話になるヨガのさなたろうさんの師匠が言っていたそうです。「むやみにポーズを深めていくのではなく、毎日少しずつ練習を続けて、体が変わっていくのを待て」と。

そうなんですよねぇ、レイキにも「焦るな、待て」の時間があるのです。

まぁ、ワタクシの場合は「こんなもん、効くのか」とかなり疑いながら、「セミナー代の元をとらなあかん」というドケチ根性と、「どこにも行きたくないけど、布団の中でできるからいいか」というズボラな態度が幸運にも「待ち」の状態を生み出したわけです。

レイキとの出会い レイキとの出会い2 レイキとの出会い3

びっくりすることがちょくちょく起こってくれると続けたくなるものですが、人生そうそうミラクルは起きません。やがて、続けることに飽きてしまいます。

そんな時はどうかお声をかけてくださいね。ホームページには「サイキックな能力でエゴを増長するのではなく、自らの力で地道に努力を続ける覚悟がある方をお待ちしています。」と書いてありますが、実はこの私も全然そんなこと知らずに始めました。

少しずつやりながら身に付けていきましょうね。そのお手伝いができる私は幸せです。

昨日のフォローアップではなぜレイキ法を実践するのか、なぜ臼井霊気はヒーリングから始めるのか、レイキを受け取り易くするにはどうするのか、なぜシンボルを使うのか等をお話した後、過去・未来へレイキを送る、楽に自己ヒーリングをする方法、楽に子供と添い寝しながらヒーリングする方法、楽に遠隔を送る方法などを練習しました。

そう、私の教え方は「いかに楽をするか」が中心です。さすがズボラ・マスター!

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昨日は撮り忘れたので、以前のフォローアップの写真です。

 

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2018年6月 4日 (月)

7月1日(日)午後 私を使ってください その2

レイキ実践はまず、基本事項の理解が大切です。そして、「とにかくやる」「やり続ける」ことが大事です。

でも、ひとりだと飽きてきます。私がそうだったのでよく分かります。他の実践者や、経験を積んだマスターと一緒に、基本事項の再確認と、ヒーリングや技法の実践をすると、興味が沸き、やり続ける励みになります。

レイキの場を共有する機会を、受講生の方たちにできるだけ提供したいと思っています。遠慮なく私を利用してください。

…ということで、

 
好評につき?「私を使ってください」企画第2弾です。
 

セミナーを受けただけで、納得できていないことの再確認、忘れていたことを思い出す作業に、どうか遠慮なく私を利用してください。

年に数回は芦屋で土居先生のセミナーを受けているので、色々な質問に答えられます。答えられないことは先生に確認して後日お返事します。みなさんよりちょっぴり長い経験があるので、より簡単で楽しいやり方を提案できます。

午前はいつも通りに「ついたちヒーリング」。こちらにヒーラーとして参加されても結構です。

お昼ご飯を一緒に食べて、午後からは(1:30-4:30)いつもの和室と私を好きなように使ってください。

S. デンマークの現代レイキ・マスターのトリリーが来ますので、みなさんでウェルカムしてください。

My precious seminar-takers!  Please come and use me as you like.  You can ask any questions.  Let's Reiki and be happy.
 
 

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獅子吼にキッシュのお店ができました。

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あっ、鳥だ!

いえ、本物そっくりの木彫りです

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あっ、鳥だ!

パラグライダーでした。

いつかこれで空を飛んでみたい

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