弟子に準備が整った時に、師は現れる
有名なこの言葉がチベットの格言とは知りませんでした。恐るべし、チベット。
この「師」は人間の形をした生き物だけを指すのではなく、その人が語る言葉や、生き方で示す教え全般を指すのでしょう。
師は昔から何度も同じ言葉を語り、同じことを教え伝えていたのに、弟子の頭には全然入ってきていなかった。
「いくら探しても大した先生はいないなぁ」
ところが、ある時、ふっとすべてに納得がいく。
師が今まで何度も言っていた言葉が、やっとハラに落ちてくる、その瞬間が「準備が整った時」なのです。
今までいなかった師が突然現れたのではなく、弟子が成長したから師の教えを受け入れたのです。
「長い間待った甲斐があります。ようやく、お会いできました」と喜ぶ弟子に、師はこう言いたいでしょうね。
「なにゆうてんねん、最初からここにおったで。」
そして、こう加えるでしょう。
「はようワシを超えていってや」
…師にとってはそれが何よりの幸せです。
なかなか悟らない弟子にしびれをきらしたのか、こんな言葉も聞いたことがあります。
「師はどこにでもいる。弟子はどこにいるのだ」
またこの言葉には続きがあるという人もいました。
「弟子に準備が整った時、師は現れる。そして弟子に本当の準備ができた時、師は消えていく」
ふ、深い…深いです
さて、師が走る月も終わろうとしています。ただ単に地球が自転と公転を繰り返しているだけの事象に、色々と意味を持たせたいのが人の性。来年もこの愚かしくも愛おしい人間としての生業を、心ゆくまで楽しみますよ。お付き合いくださいませ。
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