業者に運んでもらいました
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四国の帰り、両親のヒーリングのため実家に寄りました。
「冬の間使っていた加湿器を2階へ片付けてくれない?」と
母に言われ、「どうせ数ヵ月後にはまた使う物だし
ここに入れれば?」と、1階の押し入れをオープン
きゃ~~~、どこもギュウギュウです。
40年ぐらい前に母が習っていたお習字の道具がごっそり。
未使用の硯、筆、文鎮、和紙は
最近、習字を始めた方に引き取ってもらうことに。
他は、燃えないゴミと燃えるゴミに分別して玄関に。
更に、洋服箪笥ひと棹分のダンス衣装を発掘。
数年前までは彼女の趣味でした。
地味目なものは燃えるゴミへ
少し元気なものは「ダンス命!」の私の友人にお嫁入り。
汗だくの作業に思わぬご褒美が降ってきました。
もう失くなったと諦めていた、祖父が編んだ手袋が
スパンコールでキラキラ輝く衣装の下から登場したのです。
一ヶ月前にブログに書いた、あの手袋。
こんな嬉しい偶然ってあるものですね。
超極細でキッチリ編んであり、縄編み模様も入っています。
裏には少し色違いの毛糸でアクセントが。
「海軍工廠(こうしょう)の病院に入院していた時に
オヤジが編んだものだ」と父もうっすら思い出しました。
何度か手を入れて大きさを確認しながら
編み進んでいったに違いない。
会ったこともない祖父の手を感じながら
自分の手を入れてみました。
「そういえば昨日はおじいちゃんの命日だったのよ」
ありゃぁあああ~。呼ばれてしまったようです。
仏壇に手を合わせ、沢山の偶然に感謝しましたチーン
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前回より
さて、今回の帰省では押入れの上の天袋をオープン
ノシがついたままの沢山の箱は埃だらけ。
頂き物のタオル、バスタオルそしてシーツがそれぞれ10枚。
お隣のお嬢さん(現在28歳)が生まれた時の内祝いも発見。
5月に母が緊急入院したとき、新しいバスタオルを家中捜索したけど見つからず、ずいぶんくたびれたものを病室の母に渡したのです。
あ~あ、こんな所にこんなに沢山あったなんて…。
重くて旅行には持っていけない革のカバン3つ(そもそも彼らに旅行は無理)
ひとつひとつ立派な箱に入れたオーダーメイドのスーツやオーバー(クリーニング済)をゴミ袋に2つ。
母「(40年以上前に)東京でオーダーしたの。高かったのよぉ~」
そうでしょうとも、とっても重い生地ですわ。
「あ、そのスカートはエプロン替わりにズボンの上からはくから捨てないで」
…サイズ合いませんけど?
32年前の引越し以来、ずーっと押し込められたままだった物たちにサヨウナラ。
もうここには何も入れないように、と釘をさすと
「うん、自分で入れたり出したりできないし」と珍しく素直でした。
古いエネルギーをかき回し、頭の中の思い出に光が当たったせいでしょうか
「なんだか疲れた」と母。
若いときは忙しく、年をとれば体力が落ち
自分の頭の上に何があるのか、思い出すことも開けてみることもできません。
そして「今」「毎日」必要なものは、使うたびに足元の山をひっくり返さないと出てきません。
その日は偶然にも古紙回収日でした (v^ー゜)ラッキー
汗だくになって空き箱を紐で結び、集積所まで何度も往復する私に
「大変やね」「天袋を開けるのは恐怖やな」「うちも今のうちにやらなアカン」と近所のみなさん。
子供にはなるべく迷惑をかけたくない…どの世代の親たちも思いは同じハズですが
自分が押し込めてきたものを白日の下に曝すのは、ついつい先送りになってしまいます。
さて、我が身を振り返ってみると、私と夫はどうなるのでしょう。
う…、か、かなり迷惑かも (;´д`)トホホ…すまぬ
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実家の父は92歳、母は今日で85歳になりました。
動作が不自由な父のベッドの横には、古いタンスがふたつありますが
父の洋服は押入れの前にぶら下げたり、床の籠に入れたり
着替えのたびに、何がどこにあるか分からない父と
いちいち手伝っている母が喧嘩をしていました。
前回の帰省時にこの開かずの扉を思い切ってオープン
長ーーーいこと着ていない母の服をゴミ袋に3つ以上廃棄しました。
おまけに、兄と私の通知表(40年以上経過)父の給料明細(50年以上)
母が女学校で提出した作品(60年以上)まで発掘
もう着ない着物…(というか、母が着物を着たのを見たのは1~2回)は
「もったいない」(母談)のでそのままにエーっ
空いた引き出しに、父が「今」着ている下着、靴下、洋服を入れ
ベッドに座ったまま自分で選べるようになりました。
それから食器棚から大量の急須と湯のみを捨て
トースターとパン、朝食用の食器、コーヒーの粉を並べて
父がいすに座ったままトーストを焼けるようにしました。
「これで俺が自分でできるな」とちょっと嬉しそう。
母も朝ゆっくりできます。
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人生の中で出会う試練は何のためなのか、著者は以下の「必要なこと」を学ぶためと書いています。
愛を知る
感謝する
自分を大切にする
宇宙と一つである自分を感じる
宇宙の愛、神の愛と、その完全性を知る
自分の思い込みを捨てる
自分を無にすることを学ぶ
今に生きる
「そのいくつかを病気を通して学ぶことができました」「そのときに必要な学びが終わったとき、もう、その病気は不要です。」
「その後も何回か」不要なものを手放すときが来ると、「なぜかつまずきが起こって」「もっと自分をみつめなければならない状況に追い込まれてきたのです。」
そのたびに「自分と正面から向き合って少しずつ、自由を手に入れています。」
「そしてまたしばらくすると、自分を縛っているさらに奥深くに巣食っていたものに気づく、そんな繰り返しです。」
… … … … …
そう、病気もそうですが、自分にとって都合の悪いことは、気づきが与えられる「前ぶれ」だと思います。
私も「繰り返し」の真っ最中。これで終わりということはありません。心や体がちょっぴり痛いとき、「何かを手放せばいいんだなぁ」と思えるようになりました。
その答えは、魂レベルでは自分が一番よく分かっているはずです。
レイキのおかげさまで、石頭でアレコレ理屈をこね回さなくなり、答えを感じとるのが少し上手になりました。
今月初めに、父(91)が救急車で搬送され、今も病院にいます。
すぐ横で戦友が何人も倒れる中、無傷で帰国した強運と
大病をしたことがない体が
私たちに引き継いでくれた何よりの財産です。
人生の大半をかけて愛し続けたタバコと数学の勉強を
次の目標(孫との旅行)のために「もう止めたぞ」と断言。
早くリハビリして、ゆっくりでも歩けるようになりたい。
読むことも書くことも、尿を出す感覚さえもなくなっているのに
本当に前向きです。
できなくなったことを嘆かず、できることをチョッピリ自慢しながら
不便なこと、痛いことは口に出しません。
天真爛漫な子供か、観音さまのような感じです。
カラオケ大会に出る母を、「頑張れ」と父が励ましています。
手を握っておしゃべりしていると、なんだか気持ちも温かくなります。
多くを失っても、体が丈夫であればよい
…そう思っていましたが、
体の機能を徐々に失くしたとしても、何か大切なものさえ残していれば
光に近づける
そして、周りの人間を癒すことさえできる
…そんな姿を見せてくれています。
小松市のクラター(clutter = 乱雑なもの、散乱しているもの)コンサルタント、やましたひでこ著 マガジンハウス 1,200円
ただの「お片づけ本」ではありません。自分と物との関係性を掘り下げていくと、自分と人、自分と自分の関係が見えてくる…ふかぁあああいセミナーを開講している方の初の著書です。
「今の自分」にフォーカスしながら物を厳選していきます。「今の私、今の私、今の私はコレを使うの?」
あの時とても高かった、という過去への執着。
いつか必要となるかも、という未来への不安。
自分がしがみついているのは「物」そのものではなく、もっと大きなネガティブ・エナジー。
モヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!
この本を読んだ翌日は、ゴミ袋に最低ひとつは「不要」なものが出所しています。
今朝のゴミ出しは、袋が破れるほど重かった…夫談
ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ
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庭の落ち葉を捨てています。これでゴミ袋8袋目。
晴れた日に少しずつ、少しずつ…何も考えずに淡々と。
誰も見ていない、誰も誉めない。
だから楽しい。
クリスマスに何か買うのもいいけれど
何か捨てて、何か手放してみたら?と問われました。
そういえばここ暫くの、自分の引き出しをひっくり返す儀式が一段落。
またちょっとラクになりました。
Merry Christmas.
.+:。(*´v`*)゜.+:。
だん・しゃ・り、と読みます。不要な物を断つ、捨てる、離す。
言うは易し、行うは…ですが、一度セミナーを受けると物に対する認識が変化します。
クラッター(clutter)コンサルタントのラクシュミ♪さんのブログからビフォア&アフターの写真です。
http://blog.goo.ne.jp/danshari/e/bc1d0519e63e67578dcb117445932cde
但し、断捨離を実行するのは「自分の持ち物」からですよ。自分を変えるのが目的ですから。
それにしてもカゴ三つに…おさめられるかなぁ
(´_`。)
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昨日は粗大ゴミの収集日でした。
劣化して蓋もない灯油のポリ缶、子供が作った椅子(不安定)、古いフル~イ植木鉢、割れた屋根瓦、割れた雨樋、トタンの切れ端、もはや溶けそうな木のハシゴ、浄水器、ナゾの物体、などなど
今回は軽トラ部隊の援護が無かったので、一輪車で往復するとあっというまに汗だくです。
戦い(?)済んで納屋の中を振り返ると……「わぁああ、す~っきり!」というほどの変化がありません。
そう、絶対量が半端なく多いのです。一輪車数回の仕事ではあまり変わらないほど凄い量。
でも、嘆いたり恨んだりしても状態は好転しません。
「千里の道も一歩から」
よくやった!エライぞ!
朝から運動にもなったし。
私って凄い、凄すぎる。
まるでジャンヌ・ダルクだわ~。
ポジティブ妄想をふくらませて二歩目のエネルギーにします。
今、気付いたけど、こうやって書き出していくと、すごーくたくさん捨てたぞ、という気がして嬉しくなりますね~。
わーい♪ブログやってて良かった♪読んでいただけてありがとうございます。
+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+
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